
[ 上田杏菜インタビュー② ]
―― 社会を見つめ、自分を見つめ直すためのアート

アートをめぐる新たな文脈づくり
―― アーティゾン美術館は、前身となるブリヂストン美術館と比べ、現代美術の収集や企画に、より注力しているとうかがっています。
上田杏菜(以下、上田) はい。当館のコレクションと現代作家による作品を組み合わせた展覧会など、これまでの活動を現代美術に、ひいては現代社会にどのようにつなげていくかを模索しています。当館には日本や西洋の近現代美術を専門とするキュレーターがいますので、それぞれの研究を軸に、時には領域をオーバーラップしながら美術館活動に生かしています。

Photo by Nacása & Partners, Courtesy of Artizon Museum ©️Tomoko Konoike
―― アーティゾン美術館の充実したコレクションがあるからこそ、独自性の高い展覧会が実現できるというわけですね。
上田 新たな作品の収蔵、コレクションの充実が、美術館活動のなかで大きな部分を占めています。コレクションを通した研究が、次なる展覧会につながります。個々の作品の価値だけではなく、それらが当館のコレクションとどのようにつながり、新しい文脈や意味が生まれるのかという点も重要です。
―― ところで、アーティゾン美術館はミュージアムタワー京橋(以下、MTK)というオフィスビルの中に構えられたもので、働く場所とアートがシームレスにつながる場でもあります。キュレーターとしてそうした環境についてはどのように捉えていますか。
上田 私にとっては、アートは社会の一部だと思っています。アートをとおして社会と向き合うことは、その社会の中で生きる自分と向き合うきっかけにもなります。
今盛んに言われているように、ビジネスパーソンがアートから新しい感性やボキャブラリーを得て、アウトプットに活用するのはとても良いことですね。一方で、アウトプットだけではなく、インプットにおいてもアートはひとつの役割をもっているように思います。それはアートをとおして、自分自身を知るということです。「何かアウトプットしなくては」と気構えて美術館に行くのではなく、素の状態で目の前にある作品と向き合ってみる。MTKを訪れ、働く方であれば、そうした機会に自然と巡り合うことができるのではないでしょうか。

ジャーナリングとしてのアート鑑賞
―― 本展の会期中、MTKで働くビジネスパーソンを招いたギャラリートークが行われましたね。トークの後にはアボリジナル・アートの世界観を味わうフードイベントも開催されました。
上田 アート鑑賞は視覚に頼ることが多い体験なので、味覚や触覚といった別の感覚をとおしてアートを感じようという、とてもおもしろい試みとなりました。アボリジナルの食文化にルーツを持つ、普段の生活やオフィスワークのなかであまり口にしない食材をとおして、現地の文化について触れる機会にもなりました。


―― そのような体験を経ることで、やがては食を楽しむようにアートに触れるというような思考や態度が、ビジネスパーソンに芽生えるのかもしれません。
上田 近年、ジャーナリングが注目されています。自身の気持ちを紙に書くうちに「自分はこういうことを思っていたんだ」「こんなことに悩んでいたんだ」といった気づきにつながります。ジャーナリングと同じように、アート鑑賞をとおして自らを見つめることができると思うのです。

オフィスと同じ建物に美術館があり、いつでも好きな時にアートに触れられるという恵まれた環境があるからこそ、自分の気持ちに向き合う時間を意識的に取り入れることの意味が強く発揮されるのではないでしょうか。「この絵はどういう背景で描かれたのか」と“理解”することも大事ですが、それよりもアートを目の前にして自分の中にどんな感情が湧き起こっているのかを捉える。ひとつの作品鑑賞のあり方としておもしろいのではないかと思います。
普段はあまりアートに触れたことがなくても、数分でいいので立ち寄ってみて、絵の前にただ立ってみる。いろんな作品や展覧会を見ながら、ありのままの自分を捉え、心の動きをマッピングしてみてみるというワークも良いかもしれません。そのようにしてインプットしてきたものを、いつか思わぬかたちで外に出せるチャンスが来るはずです。