
[ ダムタイプインタビュー① ]
―― “変化するアートコレクティブ”の成り立ち

新しいメディアが拓くアート
―― Dumb Type(ダムタイプ)の成り立ちを教えてください。
高谷史郎(以下、高谷) 前身は京都市立芸術大学の学生による演劇サークルで、1984年にダムタイプという名称に変わりました。僕らがやろうとしていたのは、いわゆる「ハイ・アート(高級芸術)」と呼ばれるような美術に対して、絵画やデザイン、建築、パフォーマンスだけではない、それらを複合した何かです。当時は国内外でそういった機運が盛り上がっていたと思います。米国のローリー・アンダーソンやボブ・ウィルソンなどの前衛的なパフォーマンス、音楽コンサートでも演劇でもない新しい表現に刺激を受けましたね。

また当時はいろんなアーティストが作品づくりにビデオを使い始めた頃で、僕らも学校の機材を積極的に活用していました。「こういうアート作品をつくろう」と決めて取り組んだというよりは、いろいろなメディアを駆使することを通じて、自分たちが考えていることを伝える表現を模索していました。そこから舞台作品が生まれたり、美術館やギャラリーで展示するような作品へと活動が展開しました。
学外での活動が活発になってきた1987年頃からでしょうか、作品によってメンバーが入れ替わるような体制になっていきました。個人でもアーティストとして活動している人たちが集まって一緒に取り組むというプロセスに面白さがあります。
それぞれのバックグラウンドと参画のかたち
―― 今回のインタビューに応じてくださっている皆さんがダムタイプに参加したきっかけについて聞かせてください。
高谷 もともとデザインを勉強していて、演劇には興味を持っていませんでした。ただ、一回生のときに大学のホールで作品を発表する機会があり、その時の劇場での作品制作の体験から「これは大きな実験装置なんだ」と思ったのです。照明や音響などの機材やメディアを駆使することで、作品の見え方がまったく変わってくる。そういう実験ができる環境として、このチームならいろいろなことができそうだと思ったのが参加の理由です。チームがダムタイプを名乗ることになる1984年のことでした。

古舘 健 学生時代にプログラミングとメディアアートを勉強しながら、音楽やVJなどの作家活動をしていました。2006年に京都に引っ越した際にメンバーの南 琢也さんと知り合い、ダムタイプのオフィスに招いていただきました。若い頃は、技術を発揮できる場所があるのならどこでも、とにかく経験を積みたいという気持ちが強く、その流れに身を任せるうちにダムタイプに関わっていくようになりました。メンバーとして正式に合流したのは2014年の《MEMORANDUM OR VOYAGE》という映像作品で、以降の作品にもひと通り参加しています。

濱 哲史 10代の頃から音や音楽に強く興味があり、カセットテープでフィールドレコーディングを行ったり、ノイズミュージックのような大きな音が身体を突き抜け、空間を揺らす体験に魅力を感じていました。高校卒業後に岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)に入学し、その後、多摩美術大学へ編入しました。卒業後は、美術館と劇場機能を併せ持つアートセンターである山口情報芸術センター(YCAM)にサウンドエンジニア兼プログラマーとして所属することになりました。
YCAMは国内有数の規模のスタジオと最新機材を備えた文化施設で、アーティストが数週間から数カ月滞在しながら制作できる環境を提供し、新しいテクノロジーを取り入れたインスタレーションパフォーマンス、マルチメディア作品が生みだされる場所として世界的に注目されているアートセンターです。
私はそこで、作品の音や映像を生成するプログラミングやシステム設計・実装を担当していました。そんななか、高谷史郎さんや高嶺格さん、池田亮司さん、坂本龍一さんらダムタイプの作品制作に携わる機会がありました。
2015年にフリーランスとなり、ダムタイプの巡回展や個々のメンバーの制作、創設メンバーの古橋悌二さんが1994年に発表したビデオインスタレーション《LOVERS―永遠の恋人たち》の修復などに携わり、2018年のポンピドゥー・メッスでの個展と2019年の東京都現代美術館での個展『Action + Reflection』の頃にメンバーとなりました。